わが子に授けたい4つの能力

ヒキダスプラスの引き出す学力

ひらめく力

一見、難問に見えるものも、パっとひらめけば簡単に解けてしまう!そんな「ひらめく力」を磨きます。

ひらめく力とは、いわゆる“センス”。センスって生まれつきのもの…と思われがち。
この“センス“の有る無し、算数では図形分野を扱う高学年になって表面化します。
いくら計算が正確に速くできても、図形問題の場合、解法や引くべき補助線がパッ!とひらめかなければ自慢の計算力が使えません。
たしか小4までは算数が得意だったのに、いつの間にか苦手になっていた、または、何とかその場をしのいでいた…私自身も身に憶えがあります。

でも実際には、センスは決して生まれつきのものではありません。
センスは、豊かな学びを通して、後天的に身につけることのできる力です。
例えば、サッカーでゴール「センス」に優れたフォワード、野球でどんな球でも柔軟に打ち返す「センス」のいいバッター、
彼らはそうした“センス”を生まれつき備えていたわけではありません。
学びのセンスも同じ。解き方を“パターンで覚える”のではなく、“体験で憶える試行錯誤の質”によって身につくものです。
もちろん、読み・書き・計算など、<基本技術> を身に着ける訓練や<理論> を学ぶことも大事ですが、
それに加え、第3の要素< センス> を引き出す体験学習をするか否かで、学びの世界の広がりは大きく違ってきます。

きく力

聞く・聴く・訊く~アクティブリスニング~力を磨きます。

学習も人間関係も、相手( 設問条件・筆者の主張・人物心情) を
ありのまま理解しなければ先ヘは進めません。


傾聴…アクティブリスニングとも呼ばれ、相手との相互理解に欠かせない聴き方です。
自己表現はもちろん大切ですが、相手の立場や背景をふまえない自己主張は単なる独りよがりとなりかねません。
昨今の傾向として、中学入試から大学入試、果ては SPI 試験や司法試験に至るまで、いわゆる読解力だけでなく、主体的な読み、双方向の対話力が要求されています。
「まず聴く」力と姿勢は、学力の基本です。

理解…いわゆる読解力だけの訓練では、子どもは純粋ですから、筆者の主張をそのまま鵜呑みにします。
しかし、情報あふれるこの時代、本当にそうなのか、別の見方やアイデアは無いだろうか、考えてみる習慣をつけることは大切でしょう。
同意や反対の前に一つの意見として相手を理解すること、それをふまえつつ自分の意見を発信する力を身につけてほしいものです。

対話…ほんとうに国語力が高いお子さんは、問題文を読みおわると、それに対する自分の意見を言います。
登場人物や筆者に対しておもいきり共感したり、反論したり、途中で読むのをやめたりします。
自分の考えを持ちながら読んでいるのです。本との対話です。
文章読解では、往々にして「自分の主観を入れないように」という指導がなされます。
しかし、小学生にそのような読みの訓練だけを強いるなら、その子はいずれ活字を自ら遠ざけるでしょう。
加えて、そのような読解技術が通用するのは、受験国語の世界でもせいぜい中堅校までです。
自分の主観と相手の主張の違いを比較しながら読む訓練をしなければ、本当に読み解いたことにはなりませんし、
近年の難関校入試国語は対話力重視型へ大きくシフトしています

だしきる力

「とにかくやってみる」「さいごまでがんばりとおす」力
これがなければ、いくらセンスを磨いても宝の持ち腐れです。
子どもが「自分」を思う存分表現し、出し惜しみしないために必要なもの、それは自信です。

地道に筋をたどっていき、行き詰ったらもう一度トライしてみる力、~試行力~は受験に不可欠。
とはいえ、試行力が根付くのは子ども自身が主体的に取り組んでいる時、そうやって自らを表現しようとする時だけです。
学業においては特にそう。
私はこれまで、大人の強力なパワーの前にむりやり“苦行”を強いられ、その場をどうにかやり過ごすことを体得してしまった生徒を多く見てきました。
子ども自ら、とにかくやってみようとする。失敗を恐れない。大人が失敗を責めない。
子どもにも自分にも。( 大人が子どもの失敗を執拗に責める時はたいてい、子どもを上手く導けなかった自分を責めているものです。)

小さな失敗体験の末に答えにたどり着いた時の充足感は、その子にとって何よりの自信になります。
そして自信は、学習面に限らず、苦手克服と自律の大きな土台になります。

すきになる力

人間は、いやなことは忘れようとします。どんな知識も「好き!」という感情と共に記憶されれば、必要な時にその知識を引き出せます。
学ぶことを好きになる力=一生役立つ力です。

子どもにとって遊びとは意味が見出せなくても常に面白いもののようです。
なぜなら、楽しいから。真剣だから。没頭しているから。 要するに、好きだからです。
学びも同じ。意味がなくても時に面白いのです。楽しく、真剣に、没頭できるものならば。

たしかに、わが子の未来を考え、学びの環境を整えるのは親の役目。
親にとってわが子の学びに意味が無いなんてことはありません。
わが子の将来を思い、親はわが子に学びの場を提供します。

でも、当の子どもは非常にシンプル。ただ、楽しく、真剣に、没頭できる学びを欲しています。
記憶と学力は感情と共に作られます。
学びを楽しんだ子にとって、人生で出会う全てが学びになるでしょう。
受験も、合格も、単なる目標にすぎません。
大切なのは、そのつづき。目標を達成したところから、新たな目標が生まれるかどうかです。

すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなる。
お子様の目標の未来(つづき) を、常に考えること。

パズルを解く真剣な顔、 難しい問題が解けた時の自慢げな顔、 自分の意見を言えてスッキリした時の満ち足りた顔。

お子様の表情は、大切なことを忘れるなと、教えてくれます。

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